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四国別格二十霊場




別格二十霊場第一番札所 仏王山 大山寺(たいさんじ)
開基は西範僧都 本尊は千手観世音菩薩・真言宗醍醐派
徳島県上板町大山(691m)の中腹(460m辺)にあり1月第3日曜日に「力餅」と呼ばれる、大鏡餅(86キログラム)を載せた三方(合計169キログラム)を抱えて歩く距離を競う行事が行われている。境内には樹齢800年と言われる巨大な銀杏の木がある。


別格二十霊場第二番札所 東明山・童学寺
 高祖弘法大師学問所童学寺は、日本の大偉人弘法大師さま、ご幼名を神童と称されし頃に、当山に久しく留滯なされて、学問御修行遊ばされました由緒深き所由をもって寺号とす。お大師様は当山において、「いろは歌」四十七文字を創作せられて、児童等にひろく教えられました。これは日本の民衆教育の最初であり、この「いろは歌」により日本文化の発展の基礎を創られた


別格二十霊場第三番札所 月頂山 慈眼寺(じげんじ)
 四国別格二十霊場第3番札所で徳島県上勝町にあるお寺です。第20番札所鶴林寺の奥の院としても広く知られている。 
 延暦年間(782〜805)、桓武天皇の御代。空海が19才のとき、末代衆生(あらゆる人々)の生活苦、病苦など一切の苦厄(四苦八苦)を除くため当地をご巡錫しておられました。


別格二十霊場第四番札所 八坂山 鯖大師本坊(八坂寺)
 八坂山 鯖大師本坊(八坂寺) 開基は行基菩薩 本尊は弘法大師 高野山真言宗のお寺です。
 四国別格二十霊場第4番札所で徳島県海陽町浅川にあるお寺です。 
 鯖大師と呼ばれる由縁は、この地を訪れた空海(弘法大師)の伝説による。


別格二十霊場第五番札所 高野山・大善寺
高知県須崎市西町にあるお寺です。別名を須崎高野山、二つ石大師。宗派は高野山真言宗 開基は弘法大師 本尊は弘法大師 
元来は現在地より東寄りの古市町にあった。しかし、宝永4年(1707)の宝永地震による津波で流され、城山の麓に移ったとされている。地震以前は末寺17ヶ寺を従える大寺であったと伝えられている。


別格二十霊場第六番札所 臨海山・福寿密寺・龍光院
江戸時代初期の元和元年(1615)伊達秀宗が宇和島藩主として入部した。この際、宇和島城の鬼門にあたるこの地に、宇和島藩の安寧と領民の安泰を祈願して栄瑜上人を開山和尚に迎え寺院が建立された。以後、宇和島藩伊達家の祈願所となり、100石を藩より賜った。
 寛永15年(1638)大覚寺の二品宮親王が四国を巡錫した際、ここに立ち寄り臨海山福寿寺と名付けた。


別格二十霊場第七番札所 金山・出石寺
 開創は養老二年(718)六月十七日である。宇和郷田中庄に住する猟師作右衛門が、狩りに出て一匹の鹿を見つけ、そのあとを追うて山に登り、まさに鹿を射殺そうとしたところ、突然全山振動して光明赫赫と輝き、鹿の姿はかき消え、鹿の立っていた足下の岩が真二つに割れ、千手観音菩薩・地蔵菩薩の像が地中から湧き出して金色の光を放った。


四国別格二十霊場八番札所 十夜ヶ橋 永徳寺
今から千二百余年年前 空海が四国巡錫(じゅんせき)中、この辺りにさしかかった時、日が暮れてしまい泊るところもなく、空腹のまま小川に架けられた土橋の下で野宿をされました。わずか一夜のことではありましたが、夜明けまでは、それこそ十夜の長さにも感じられる思いで過ごされ、『行きなやむ 浮世の人を渡さば一夜も十夜の橋と思ほゆ』と詠まれました。


四国別格二十霊場九番札所 大法山・文殊院・徳盛寺
当院は、空海が衛門三郎の子供の供養と共に悪因縁切御修法をなさった四国唯一の有難いおてらであります。本堂には空海が刻まれたご自身のお姿と延命子育地蔵尊をお祀り、四国遍路元祖「河野衛門三郎」の物語が記された、寛正時代(1461〜1466)の絵巻物も保存しております。


四国別格二十霊場十番札所 仏法山・仏眼院・興隆寺
 別名西山興隆寺(にしやまこうりゅうじ)は、愛媛県西条市古田(旧周桑郡丹原町)にある真言宗醍醐派の別格本山。山号は仏法山。詳しくは仏法山仏眼院興隆寺と称する。
 高縄山系の東のふもと、海抜100mから300mに位置し、周囲の山々に溶け込んだ景色が美しい。


四国別格二十霊場十一番札所 生木山・生善寺・生木地蔵
愛媛県西条市丹原町今井にあるお寺です。宗派は高野山真言宗 開山は空海 本尊は生木地蔵菩薩
 地蔵菩薩の楠木は昭和二十九年九月二十六日洞爺丸台風の烈風にて楠の御霊木は根元より倒れましたが、お大師様御自作のお地蔵さまは倒れず、昔日のお姿のまま御安泰で御座りいます。


四国別格二十霊場十二番札所 摩尼山・延命寺
 奈良時代に四国巡錫中の行基が開創したと伝えられる。伝承では平安時代前期、巡錫中に空海が植えた松の木の下で足の不自由な人を見た。空海は千枚通し霊符を創札し、霊符を一枚水に浮かべて飲ませると全快した。治癒してもらったこの人物はこれに感銘し空海より得度を受けた。法忍と名乗り、この地で千枚通しの霊符を継承したという。


四国別格二十霊場十三番札所 金光山・仙龍寺・邊照院
  舞台造りの仙龍寺は嵯峨天皇の弘仁六年、空海が四十二才の時に登山され、その当時この山に住んで居られた「法道仙人」より、この山を譲り受け、岩窟に瀧沢大権現と、開運不動尊を勧請して、厄除と虫除の二つのご誓願をおたてになり、二十一日間護摩の修行をなさる。その護摩修行成満の後、自らの姿を彫刻して、此の山に留め安置し給うた。その御本尊を「厄除大師」「虫除大師」と申し伝えて諸国より多くの信者が四季を通じ参籠している。


別格二十霊場第十四番札所 邦冶山・常福寺・椿堂
  開山は弘法大師 本尊は延命地蔵菩薩+非核不動尊(大聖不動尊) 高野山真言宗のお寺です。
 四国別格二十霊場第14番札所で愛媛県四国中央市川滝町椿堂にあるお寺です。 その昔、大同二年(807)邦治居士(ほうじきょし)なる人物この治に庵を結び、地蔵尊を祀る。


四国別格二十霊場十五番札所 宝珠山・箸蔵寺
 箸蔵寺は中心建物を本殿と呼び、仏教と神道が一体となっていた時代の様相を色濃く残している。
 建物は外陣、内陣、奥殿からなり、山を背に建てられているため外陣向排部の地面から奥殿仏間の床までの高低差は、11.38mある。入母屋造の奥殿と入母屋造の外陣を切妻造の内陣で繋いだ複合社殿形式で全国的にも最大級の規模を有する。細部の意匠が特に優れており、組物や彫刻が多用されている。


四国別格二十霊場十六番札所 地蔵院・萩原寺
 萩原寺周辺は萩の名所となっています。
 仁王門は大野原町(現観音寺市)有形文化財指定(昭和58年6月28日)屋根は本瓦葺きで寄棟造りで三間一戸八脚門です。江戸時代初期の手法が見える。
 本堂は乱石積の基壇の上に桁行五間、梁間六間の入母屋造りで背面に庇がつき、向背三間の五間堂の建物は近隣では少ない。軒は二重繁垂木で組物は平三斗の詰組で妻飾りは紅梁太瓶束になっている。


四国別格二十霊場十七番札所 五穀山・神野寺
 モミジは香川の名所になっています。
 勅命で弘法大師が満濃池の修築の為此の地に帰って来て人々の考えられない早さで仕事を終えたと云う 。大師を慕う人達が近郊は勿論遠方からも大勢集まり為し得た仕事で在ると云う、821年(弘仁12年)に弘法大師が大改修を行った人数は推定32万人と記され、当時の讃岐国の人口は28万人程であることを考えると、いかに多くの人員を動員した大事業であるかということがよくわかる。


別格二十霊場第十八番札所 経納山・海岸寺
経納山(きょうのうざん)・海岸寺は香川県多度津町西白方にあるお寺で四国別格二十霊場第十八番札所です。山門には仁王でなく香川県出身の元関取の琴ヶ浜と大豪の像が置かれている。海岸寺の北側は夏は海水浴場として賑わっている。またJR四国・予讃線が海岸を通っていて趣がある風景です。


別格二十霊場第十九番札所 寶幢山・香西寺
 寶幢山(ほうとうざん)・香西寺(こうざいじ)は、四国別格二十霊場十九番札所、宗派は真言大覚寺派 開基は伝行基 本尊は地蔵菩薩(延命地蔵) 
 嵯峨天皇の勅願寺となり、朱雀天皇の讃岐国勅旨談議所となったが、その後は衰微していたようである。 鎌倉時代になり、この地の豪族・香西左近将監資村が鎌倉幕府の命により寺院を再興し香西寺と名付けた。その後は香西氏の庇護を受けることとなった。


別格二十霊場第二十番札所 福大山・大瀧寺
徳島県美馬市と香川県高松市の境にある大滝山946mの山上に位置し、別格二十霊場のうちで最も高所に位置する。隣接する西照神社とは明治初期の神仏分離令までは神仏混淆の山岳信仰宗教施設「西照権現」として存在していた。